海外研修レポート

小川 顕太郎

留学者の情報

氏名小川 顕太郎
所属生命科学研究科 脳神経システム
留学期間2018年10月 - 2019年4月
海外研修の受入先ルーべン・カトリック大学医学部

はじめに

自分は東北大学生命科学研究科に所属する博士課程後期の学生で、脳機能の研究に携わっている。2018年10月1日より7ヶ月間、ベルギー王国のルーべン・カトリック大学(KU Leuven) 医学部のProfessor Peter Janssenの研究室に滞在し、MRIを用いた電気生理学的研究を行った。このレポートでは、この留学に際して行った準備、留学中の生活、自分の成長等について述べる。

自分はデータ科学国際共同大学院のプログラム受講生であり、プログラムの一環として半年以上の留学が求められている。お世話になったPeterと所属する研究室長とは旧知の仲であり、自分も東北大学でのシンポジウムや海外での学会発表にてPeterとは何度か会合の場を持ち、顔を覚えていただいていた。プログラムの要請の旨をPeterに伝えたところ、何の問題もなく受け入れを認めていただけた。このような幸運な縁に恵まれ、実に自然な流れで留学先としてKU Leuvenに行くことが決まった。そのため、留学先を選定する過程は全く存在していない。以下に続く留学の準備についての項は、留学先が決定してからの内容である。

留学前の準備

留学先の研究室にはMRIを用いた電気生理学的研究を目的として渡航した。どの様な実験を行うかについては、渡航前にかなり密な打ち合わせを行ったので、その実践のための基本的な解析技術を身に着けていく必要があった。具体的にはMRIデータ解析に広く使われているSPMと呼ばれるMATLABプログラムの基本的なアルゴリズムや使用方法について、生理学研究所で行われている一週間ほどのセミナーに参加したり、サンプルデータの解析を行ったりするなどした。研究対象とする前帯状皮質(anterior cingulate cortex, ACC)と呼ばれる脳領域については、情動に強く関わる部位として所属研究室でも研究を進めている領域であり、MRIを用いた実験手法の観点からの知見を得るためにKU Leuvenに赴いた。

長期留学の際の重要な手続きは二つある。ベルギー王国に提出するビザの申請と、大学への入学登録である。どちらも渡航直前に準備しては全く間に合わないので、三か月ほど前から準備を行った。特にベルギーは原本を重視する文化があるため、ビザ作成の際に電子メールのやり取りだけで済ますことは出来ず、何度か東京の大使館を往復したり、外務省にアポスティーユ認証の押印、さらに大使館所定の病院での健康診断も必要であった。割と激務だったので、出鼻をくじかれないためにもこれらの準備は前々から更に余裕をもって行っておけばよかったと痛切に感じた。周りが何も言ってこないから何もしなくてよいと高をくくり、留学が危ぶまれるような事態を防ぐためにも主体的に自分から行動し、調べることは大切だと思う。

半年滞在の予定だったが、一週間旅行用サイズのトランクに最低限の衣類を用意した。内容的には海外の学会に参加するときの荷物と大きな差異は無い。新たに購入したのは電源プラグ変換コネクタのみである。経済的に余裕があったわけではないが、最悪現地で調達できるという考えがあった(結果的に現地で服を数点購入し、帰ってくる際に古びたものは放棄してきた)。音楽が好きなので携帯型のBluetoothスピーカーを持って行ったが、フロアメイトとピザを食べる際などにも非常に重宝した。持ってくればよかったと感じたのはクロックスで、土足文化の社会では気楽な履物が必須であると感じた。帰国した今となっては衣食住さえ確保できれば何とかなるので、他のものは無いなら無いで何とかするのも留学の一興だと思える。

大学で管理している寮が複数ありそこにコンタクトを取って物件を探した。自分の留学開始が10月のはじめとわずかに新セメスターの開始から遅れたため、空き部屋のある寮は少なかったが、それでも光熱費wi-fi込みで7万円程度の寮を借りることが出来た(体感として、ベルギーの物価はおしなべて日本の1.4倍程度である)。やはりこの際にも原本の提出など求められ煩雑だった。後から考えると、他にも物件の選択肢はあって、Peterに教えてもらった大学関係者用の部屋貸し借り用facebookグループ(ヨーロッパでは自分の長期休暇に合わせて部屋をまた貸しすることはよくある)やkotと呼ばれる民間寮を使って安く物件を見つけることも出来たかもしれない。部屋探しにかける時間とコミュニケーション能力に余裕のある人はこちらのほうが面白い出会いがあるだろう。あと、基本的にバスタブは存在しない。

留学先で行わねばならないのは、研究だけではなく生活そのものでもある(当然ながら)。それに際して重要なのは研究テーマや衣食住の確立だけでなく、異国の地で一人で生活する不安、焦り、そして孤独そのものに立ち向かうことの出来る精神力である。そのような精神力を養うためにも、友達を作る能力ないしは孤独に怯まない心、さらには状況を冷静に俯瞰し、論理的に問題解決を行う思考力は身に着けるべきだと思う。これは準備というか心構えの問題だが、留学を意義あるものにするためにはこの面が大きく関与しているように今では思う。

留学先での生活:初めの3ヶ月

実験動物を用いた電気生理学的実験ということで、まず動物実験講習のテストを受けたり、MRI装置の使い方を学んだりなど覚えることは多かった。特に動物実験講習のテストは筆記式で、なじみの薄い医学用語を頭に叩き込む必要があり、なかなかに困難を極めた。それらと並行してMRI装置の動かし方やMRI解析の手法を研究室のスタッフの方から教わるなどし、ひたすらにメモを取る日々であった。1-2ヶ月ほどで実験動物を用いて本格的に実験を開始する予定だったが、動物の体調不良などウェットな生理学実験ならではの問題等もあり、データ取得に至ることは出来なかった。東北大学でも同じ動物種を扱っていたことを見込んでの上か、意外と世話や処置を一任される場面が多く、あらためて責任感を持って研究室に通うことが出来た。定期的にスタッフ・教授の方と対象領域であるACCについて、詳細な座標や、期待されうる結果についてディスカッションを行ったので、毎日研究室で行うタスクがあったため中だるみもせず、結果的にトータル9ヶ月(7ヶ月+帰国後再度渡航した2ヶ月)の滞在で一日も休まなかったのは一つの自信になった。

台風で搭乗予定の飛行機が欠航になる、保険会社のホテルの補填なしなど中々の開幕だったが、何とかブリュッセル空港にたどり着いた。大学のあるLeuvenは首都ブリュッセルから電車で20分の場所にあり、オランダ語とフランス語(どちらもベルギーの公用語である)が入り乱れる車内の中、これからの生活に思いを馳せた。Leuvenで生活を始めるうえで、まず行う必要があった手続きは大学本部へと赴いての学生登録で、その後に市役所で市民登録を行った。これらを終えて初めて銀行口座の開設や携帯電話のSIMカードの購入が可能になる。市役所で登録一つを行う上でもアポイントメントを取る必要があり、先手先手を打たないとどんどん処理が先延ばしになってしまう。結果的に10月末あたりにやっと銀行口座は開設できたのだが、口座の維持に必要な市民番号を市役所から一向に教えてもらえなかったためにわずかひと月で凍結されてしまった。クレジットカードによるATMからの現金引き出し(海外キャッシング)を現地で慌てて有効にしたので、現金が無くて困ることは辛うじて回避できた。結果的に大学への学費振り込みや家賃振り込みは研究室スタッフの口座を使わせていただいた。携帯電話は結局契約せず、大学のwi-fiを使って生活した。やむを得ず電話をかけねばならない際はスカイプに課金してつないだ(スカイプ電話は電話を受けることは出来ないこともあるので注意)。

寮にはベッドのフレームとマットレス以外何もなく、毛布から調理器具まで自分で買いそろえる必要があった。そういったものを格安で買えるバザーをセメスター開始時に新規入寮生に向けて行っているようなのだが、自分はタイミングが悪く、初日から町の雑貨屋を練り歩くことになった。調理、食事に関わる物品が全くないので最初の10日ほどは安く売られている食パン(長さ50cmほどで100円程度。1cm厚にスライスされている。パサパサ。)にジャムやソースなどをつけて食べていた。安上がりなうえ皿やカトラリーが必要ないので緊急時にはおすすめである。

ogawa_01 異様に安い食パン.

しかし、渡航10日ほどで、こういった偏食に加え、生活環境の変化や様々な登録がうまく行えているかの不安、孤独によるストレス、バスタブが無くシャワー生活に変更したことによる腰の血の巡りの悪化、座りっぱなしの研究室、ウォシュレットの不在、辛みがあり刺激の強いソースを多用していたことなどから痔になってしまった。幸いにも日本から常備薬としてボラギノール(と風邪薬、アトピー性皮膚炎の塗り薬、ニベア)を持って行ったので、発症から2週間ほどで落ち着いた。このようなこともあり食物繊維等を積極的に摂ることの大切さを感じたので自炊用の鍋を購入し、肉じゃがを作ったりするなどした。アジアンスーパーがあったので、そこまで和食が恋しくなることは無かったが、満足できるほどの品揃えでもなかったので、日本食が好きな人はしょうゆやだしの素、粉末みそ汁などは持って行ってもいいかもしれない。電気ケトルを向こうで購入したが、これはインスタント食品の調理だけでなく、水を煮沸して飲み水にしたり、マカロニを茹でたりする(寮生活では鍋もコンロも足りなかった)際に大変重宝したので、購入をお勧めする。

研究室まで片道徒歩45分だったのは初めのうちは少し大変だったが、現地の文化に触れることが出来たので結果的には良い時間だったように思う。Leuven中心部は直径3キロほどの小規模な環状になっており(自分の通学路はこの端から端を歩くルートだった)、学術都市と謳われるように街の至る所に大学施設が点在している。そのため治安は非常によく、不穏なものを感じることもなかった。自分もよく夜中に散歩を行い、Dürümと呼ばれるドネルケバブを食べたりしながら写真撮影を行った。

新たな経験・発見が日々舞い込んで来るとともに、自分の中でも日本にいるときには歯牙にもかけなかった様々なことについて思案することが増えたので、Evernoteを用いて日記をつける習慣が出来た。これにより記憶のオーバーフローを防ぐとともに、見返して頭の整理を行うことが出来るようになった。

ogawa_02 KUルーベン図書館。街にこんな感じの校舎が点在している。
ogawa_03 街の大広場。本気のクリスマスイルミネーションが施されている。

留学先での生活:続く4ヶ月

スタッフらの尽力にもかかわらず、不幸にも実験開始には非常に時間がかかってしまい中々始めることが出来なかった。さらに、やっと環境が整い、データ記録を開始したものの、機材トラブルに見舞われるなどさらなる不幸に見舞われた。ウェットな実験は予定通りには行かないという事はこの時点に至る前に十二分に学んでいたが、流石に不安が募った(最終的にはトラブルが起きてもあとで笑い話に出来るからいいやと素直に思えるようになった)。本当は半年間の滞在の予定だったが、データの取得・取りまとめに時間が必要だったので、ひと月延長をPeter、研究室長、プログラムの担当教授らに申し出て、無事受託していただけた。試行錯誤が続く毎日ではあったが、幸いにも最後の2ヶ月でデータを取得することが出来た。もっとも、データが取れない時期に何もしていなかったわけではなく、スタッフの方から解析方法の指導や逆に自分の研究分野についての発表や意見交換、実験動物の管理など業務内容には事欠かなかった上、研究科メンバー全員がフレンドリーで度々食事会などもあったので、そういった意味では非常に楽しい研究生活を送ることが出来た。

行きつけのフライドポテトショップが出来たり(毎回同じものを注文するので笑われるようになってしまった)、安価に大量のパスタを作れるようになったりするなど最低限の安定した食は確保できるようになった。お昼ご飯にはランチボックスにパスタを詰めて持って行っていたので、ほぼ毎日同じものを食べていたことになる(意外と慣れる)。外出に対する抵抗は全くなく、町の外にも写真撮影のために出るようになった。基本的に出費が多くなる観光地には行かず、国境ギリギリまで電車で向かい(ベルギーは週末の国内電車賃が半額であるため)、その周辺を20~30キロほど歩き回って越境し、記録に収める、といった旅行を行った。観光地化されていない僻地を自分の目と足で見て回り、文化を体感できたことは非常に有意義であった。留学中だからこそ可能な旅行として、個人的にはこのような金ではなく時間を費やす旅行が最適解だと思っている。旅行に限った話ではないが、何事もインターネットで事実を知るだけでなく、自分の五感を使って世界を体感し、納得のいく形で理解することは大切だと思う。

ogawa_04 アーヘンというオランダ・ベルギー・ドイツ辺境を訪れた際の写真。
ogawa_05 チャーリーとチョコレート工場の主人公の気持ちがよくわかる。
ogawa_06 「透明な教会」。他に建物がないので空が綺麗に見える。

そうこうしているうち、滞在四か月目にして寮長から寮を出ていくように要求された。これは、この大学寮がセメスター毎でのメンバー入れ替え制をとっているためであるが、授業とは全く関係なく滞在している自分としては完全に割を食う形になった。交渉も行ったが難しいとのことだったので、新たに物件を探すことにした。問題だったのは研究生活面でも述べたように留学期間延長の気配があったものの確定していない状況だったため、滞在期間が確定できないことと、2-3ヶ月の短い滞在に応じてくれる物件はあるのかということだった。大学職員に状況を説明し物件紹介を頼んだところ、ゲストハウスへの入居を勧められた。ゲストハウスは短期滞在者や現地で物件を探す大学関係者に向けて最大3ヶ月まで大学が提供する格安の宿であり、トイレシャワーキッチン共同ではあったがひと月5万円程度で滞在できる。連絡したところ空きがあり、無事に生活空間を確保することが出来た。初めの寮ではタイミングや年齢差、価値観の違い、自分のコミュニケーション能力の低さなどによりフロアメイトと仲良くなることはほとんどなかったが、こちらでは様々な人々が出たり入ったりするので、そういった意味でも気楽に仲良くなることが出来た。勿論留学生活の慣れも関係していると思う。ひと月の滞在延長の申し込みの際は、市民登録を行っているので、ビザの再処理等は必要なく、市役所に届け出するだけで終了した。大使館等に行く手間が無かったのは非常にありがたかった。

ogawa_07 毛布が最初から備え付けられており、最高の待遇だと感じた。

得られた成果・帰国後の変化

留学当初に目標としていた実験のデータを無事に記録することが出来た。また、帰国してから一ヶ月後、再度KU Leuvenに2ヶ月滞在し、追加データを得ることが出来た。データの解析の結果、過去の他の手法を用いた研究成果を裏付けるような傾向がみられ、論文投稿に向けて目下、さらなるデータの解析を進めている。

まず、MRI操作法や実験手法、解析手法などの技術を習得できたことは本当に大きな成長であった。また、教授やスタッフらとのディスカッションを通じて、英語でのアカデミックなコミュニケーション能力が向上したことも大変大きな成長であるように感じる。

そして何より、内面的な成長が大きい。 まず、自分がいかに環境に甘えた子供であったかということに気が付けた。恥ずかしい話であるが、留学して初めて、自分の周りには無条件に救いの手を差し伸べてくれる人が大勢存在し、知らぬ間に幾度となく助けられていたことに気が付いた。そして、自分で勝ち取ったわけでもない権利を声高に主張し、周りに自分の不幸を主張するだけで、自らのベストを尽くさず、自らを変えようとしないような子供に対して、他者は全く持って聞く耳をもってくれないことに気が付いた。この気付きにより、自分は何事もまず行動してから、文句はその後という考えに至るようになった。そういった意味において、自分は失敗を恐れず、まず行動が出来るような人間へと、少しは成長することが出来たように感じる。

次に、より相対的なものの見方が出来るようになった。自分は日ごろから自分の意見をもって生きるよう努めてきたが、留学を通じて、その独りよがりな世界観の殻を一段階打破出来たように感じる。一般的によく言われるカルチャーショック、それに付随する鬱的症状はほとんどなかった(乱暴な言い方になってしまうが、ヨーロッパの個人主義は自分に合っていた)が、Peterの言っていた "reverse culture shock"は非常に実感した。これはつまり外国文化を理解することで、逆に母国文化の違和感や矛盾点に気付くといったものである。我々は相対化することなしに対象を認識することは出来ない。日本を出て初めて、国内では絶対的に信望していたものを外部から俯瞰的に見ることが出来た。もっとも普通reverse culture shockは帰国してから発症するものではあるのだが・・・。このショックのおかげで、改めて日本人の特性や個性のあり方、人生、差別問題、戦争などといった日本ではあまり深く考えなかった物事についても時間をかけて納得のいくまで思考を繰り返すことが出来たように感じる。研究室と寮の往復時間が徒歩一時間半で、その時間をSNS等に頼らず熟考に費やし、メモに残せたことは、誘惑の多い便利な日本ではなかなか出来ない非常に貴重で価値のある経験だった。自分の思索を随時記録したことで、自分の変化を身近に実感できることも精神衛生上よかったように感じる。

相対化に関連した話でもう一つ成長したのは、他人への思いやりの気持ちである。留学して初めて日本で経験することのない孤独を知ったことで、病気の際に健康のありがたさに気付くように、身近に人がいることの尊さに気付くことが出来た。留学当初は、自分の内にある心の機微を日本語と同じくらい流暢かつ的確に英語で伝えるのは非常に難しいだろう、という諦念から、積極的に交遊の輪を広げることはあまりしなかったのだが、それでもカメラを持って一緒に撮影に行く親友が出来たり、プログラムの使い方を少し教えただけの研究科メンバーから家族ぐるみのディナーに誘われたりするなど、人の温かさを認識する機会は何度もあり、情は言語を超えて伝わるのだと認識を改めた。さらに、母国を離れ異国で生活する留学生に対して心から尊敬の念を抱くようになり、日本に帰ってきても身近な留学生に対しては積極的に接触を図り、意見交換等を行うようになった。

ogawa_08 カメラ友達のケネス。

以上のように成長点をあげだすときりが無いのだが、兎に角、知識面においても精神面においても、留学を通じて大いに成長することが出来た。うまくいかなかったり、失敗があったりするからこそ何事も面白い。逆境こそ人生の糧である。様々なことがあったが、今ではその出来事どれもが素晴らしい経験であり、楽しい思い出である。

ogawa_09 ラボメンバーと。